藤川問答

「相変わらず、佐渡も面倒なことを言う」
使者を前に、扇の尻でがりがりと鬢をかいた脇坂中務少輔安治は、ため息混じりに嘯いた。
麓に陣取った松尾山には、伊藤長門守が改修した山城がある。脇坂らいくつかの与力大名を束ねた大谷刑部少輔が、松尾山向かいの藤川台に陣を布いたので、前後して到着した脇坂勢も勢い近くに布陣となった。
布陣ときいて、首を捻ったのを覚えている。
そのときの戦線は伊勢と大垣で、東山道をおさえる名分ならば、おなじく与力である平塚因幡守の垂井城に入ってはどうか――と、やんわり打診したこともある。
大谷刑部は先年より患っており、近頃はずいぶんよいといえ、いざ戦の最中に倒れられてもことであった。山中村の名主の屋敷を仮の陣所にしているというが、しょせんは片田舎の名主など、たかのしれたものである。一万石とはいえ、普請をかけた城屋敷とは比べものにならぬ。
平塚もおなじことを幾度も勧めたらしいが、どうもはかばかしくないというのだった。聞けば、大垣入城を求めた石田治部の要請も流しているという。
不破の関と呼ばれ、隘路を擁した地形は、なるほど、小勢を生かすにはよい。古くは壬申の乱、近くは青野ヶ原の戦の頃にも、ここで大軍を止めた故事もある。だが――故事を生かしてここに陣取るということは、裏をかえせば大垣は抜かれる前提なのである。
では、若宮で不穏な動きをしている小早川中納言を警戒してのことかと思えば、午ごろ、やにわに松尾山城に入城した小早川勢を見送ってもいる。小早川が徳川内府に内通しているのは、確かめるまでもなく明らかだった。使者によれば、ちょうどおなじころに、内府も東軍諸将の陣取る岡山に到着したようで、大垣城内は傍目からも上を下への騒ぎという。この二人が示し合わせていることは、もう疑いがない。
「内府殿の、再三再四の勧誘にも折れなかった男が、俺ごときの言葉で揺らぐとも思えぬがなあ」
「中書殿の寝返りを知れば、あるいは――との、殿よりの仰せにございます」
使者がこたえるのに、中務少輔は腕を組んで唸った。
使者の主、藤堂佐渡守高虎と、それこそ伏見攻めのあたりから、内通していた脇坂中務である。そもから西軍に組み込まれたのも折悪く関をとざされたからで、とくに石田治部らの檄文に呼応して――というわけでもない。治部と個人的な友誼があるかといわれれば、それもない。強いていうなら、大谷刑部とは腐れ縁と言ってもよい仲であるが、……
はあ、ともう一度軽くため息をついた。
その縁を使え、と、佐渡は言っているのである。
(おまえがやれ)
心中で毒づけば、どこかからか、もうやった、などと聞こえてくる気もする。
考えてみれば、あの藤堂佐渡が、大谷刑部を放っておくはずがない。
刑部は近頃は、内府派としても八面六臂といってよい働きで、そもそも西軍に与したことは、同じ西軍の諸将にすら驚かれた。刑部を伴って現れた治部の、あの得意気な顔を、中務は忘れまい。あの大谷刑部が与するならば――と、こちらに流れたものも、いくらか知っている。おそらくは、そのいくらかを抱き込むための看板であろう。そう、中務は思っている。
なぜ、治部を選んだのかは、知らぬ。知るつもりも、あまりなかった。軽々しく物事を扱う男ではなかったが、それを動かすなにかがあったのだろう。治部への友誼ゆえ、と言われても、納得するだろう。そういった、情に篤い――悪く言えば押しに弱いところも、彼にはあった。
藤川台を仰ぐと、ぽつぽつ炊の煙があがりはじめている。
しばし瞑目し、中務はまた、はぁ、とため息ついた。
「結果がどうでも、文句はいうな」
「無論にございます」
億劫に、中務は立ち上がった。これは自ら赴くがよい。ことが知れて、そのまま斬るような真似ができるなら、そもから小早川の陣所へ己で出向き、差し違えていたであろう。そういう男でもある。
幔幕をくぐりながら、近習を呼ぶ。馬でいくか、少し迷い、けっきょく歩くことにした。たいした距離ではない。
側背をつくような位置ではある――とだけ、ちらりと思った。

 


 脇坂中務少輔、と告げると、近習はあわただしく屋敷に招き入れてくれた。屋敷、というには、やはり、いささかもの寂しい。むかし、小谷に彼が母や妹と住まいしていたころは、こんなものだったか――と、何十年も前の記憶がどこともなしにわき上がった。
板の間の座敷を素通りしたところで、中務はちょっと首を捻った。前を歩く近習に訪ねると、自室まで通すように言いつかっているという。
「……悪いのか」
「いえ。ただ、おそらく内々のお話であろうから、人払いをせよ、との仰せで」
腕を組み、中務は顔を歪めた。おおかたの予想はついているのだろう。それはそうだ、自分でもおそらく、そうする。いまは東西の例外なく、調略の手が伸びている。――だからこそ、治部は刑部を大垣に入れたかったのだ。城内であれば、目が届く。己のときと同じように、『情』で転ぶ前に、どうとでもできる、そう考えたゆえであろう。
哀れなことだ。治部は相次ぐ誤算で、目が曇ってしまっている。刑部は刑部で、いささか言葉が足りぬ。不幸な行き違いで、そこをつけ込まれてしまう。
こうしてしきりに調略しているのを、佐渡は抜け目なく大垣へ流しているだろう。内府が着陣し、時をあわせて小早川中納言が松尾山城を占拠したのを、大谷刑部は止めもせず黙認した――などと、少しばかりの鰭をつけてやれば、おそらく治部は大垣を出るだろう。
釣り出されたのだと治部らが気付くのは、南宮山の――すでに東軍に通じた毛利勢が、東軍諸将を見送った後であろう。
東軍には、野戦に長けた猛将たちが揃っている。内府自身も、老いたとはいえ、海道一と呼ばれた大将であった。大津を攻めている軍勢が、城を落としたという話もきかぬ。よしんば今日明日落ちたとして、一万をこえる大軍が到着するには、どれほど急いでも二日や三日はかかる。それでは伊勢の軍勢はといえば、すっかり手仕舞いの格好で、降る者も出始めたときく。
いま、大垣に拠る西軍で、まともに士気を保っているのは、宇喜多中納言と石田治部くらいのものだろう。このぶんでは明日か、よいところで明後日――と、中務はあたりをつけている。
「脇坂中務少輔様にございます」
障子の前で膝をつく近習を後目に、中務は竪框に指をかけ、いささか無礼にひきあけた。おそらくこの屋敷で唯一であろう畳敷きの、六畳ほどの書院である。庭――というよりは、山林を望む、手狭な部屋に、彼はいた。
「これは、中書殿。ご足労おかけして、あいすまぬ」
「俺が刑部の顔を見たくなったのだ。気を使ってくれるな」
近頃はすっかり他人行儀に改めていた言葉づかいを、あえて崩してやると、刑部はすこし笑んだようだった。見えなくなったせいか、いささか表情が出過ぎる――と言って、盲いてよりこちら、刑部は顔を隠すようになった。そのせいで、あらぬ病の噂が流れているのを、きくたびいちいち訂正していたこともあったものだ。
「どうだ、具合は」
「近習どもが過保護にしてくれるので、風邪もひきませぬ」
ふふ、と刑部は軽く笑った。案内してくれた近習が障子を閉め、下がる気配がある。盲目の主を置いて、不用心なことだ。
過保護、といったとおり、刑部の尻には座布団が敷かれている。確か、太閤がまだ存命のおり、刑部の体を案じて下げ渡したと聞いている。とかく太閤に好かれた男だった。寵愛のわりに敵を作らぬのは、やはりこの男の人徳といって差し支えないだろう。
むかいに敷かれた座布団の相伴にあずかり、中務は、さて、と思案した。
用意よく脇に置かれた白湯を啜り、一呼吸すると、面倒になる。
「佐渡から伝言だ。降れ、とよ」
だから、簡潔にそう言った。
刑部はすこし首を傾げ、また、軽く笑った。
「その儀は、お断りしたはずなのですが」
「あれもしつこい男だからな。諾というまで諦めぬだろうさ」
「なるほど」
神妙に頷く。中務のことは聞かぬ。知っている、そういうことだろう。話が早くてよい。
「俺も言ったのだぞ、一応。無駄だと」
「中書殿には、隠し事はできませぬな」
「付き合いの長さだけは、市正の次くらいだからな」
「そうでした。――そうでしたな」
見えぬ目を開き、刑部はすこし感慨に耽る色をのせた。彼の瞳は、紅毛人のように色が薄い。光に弱いのだと、むかし、聞いたことがあった気がする。盲いたのも、あるいはそのせいかもしれぬ。
「お前は、気は回るのに、世渡りは下手だな」
「……たまに、言われます」
「いいのだ。そういうところが、たぶん、好かれるところなのだろう」
死なせるには、いかにも惜しい男だった。生かしたならば、それなりに、働きもする男だろう。だが、中務は思う。
はじめからのことといえ、寝返りは寝返りである。巷間に蔓延る軍記物を紐解けば、後世の扱いは、まあ、知れたものだ。誰もが前田大納言のようになれるわけではない。
子孫には悪いが、中務は割り切っている。が、刑部がそのように取り沙汰されるのは、あまり想像がつかなかった。
「……義によって、と」
ひとりごとのように、ぽつ、と刑部はこぼした。
「義によって。そう言えばよいのだと、因幡殿に諭されました」
「そうか」
「いまさら内府殿に通じたとて、後世の誹りは免れぬでしょう。まして、私は治部と並んで名を記した。これで己だけ口を拭おうなど、末代までの汚名となるものです」
静かに語る刑部の目を、じっと見つめた。琥珀のように、斑がある。焦点を結ばぬその目は、中務にはひどくもの悲しい。
黄金にも見えるその瞳を、気味が悪いと揶揄する者もあったが、中務は美しいと思っていた。
「手向かいせねば、俺の説得に応じていたのだと言ってやる。佐渡にも、そのように手配できるよう、伝えておく。――俺はな、紀之介よ」
懐かしい名を呼ぶと、年甲斐もなく若返ったような気がするから、不思議なものだった。
しがらみなど、片手で押し退けてしまえた日々を、懐かしく思い出すことも、これからは増えるだろう。
「できればお前に生きて欲しいが、散るなら、せいぜい格好良く散ってくれよ。俺が語り甲斐のあるくらいに」
「かたじけない。――甚内殿も、御武運を」
下げた刑部の頭を、押さえつけてやりたい気もしたが、やめておいた。
かわりに、ふたつ肩を叩いて、そのまま辞した。
暮れ頃から、雨になった。
藤川に、朝霧を誘う雨だった。

 


 ――されば脇坂中務少輔安治、かねてより異心ありて、藤堂佐渡守により内応を約す。関ケ原合戦に於いては大谷刑部の軍勢を討ち、おおいに面目あかしたるなり。
――一書に曰く、刑部、中務佐渡らの調略を受くるも、終に肯んぜず。事ここに至り我が身のみ思うは不義なり、後世への汚名ならんと云々、中務感じ入り、されば戦場にて武運を競わんと、藤川に別れたり。

 

 

〈終〉

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